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イオンモール豊川

文化や音楽の力で 地域を元気に 和太鼓 志多ら

愛知県奥三河を拠点とする和太鼓『志多ら』。
日々の鍛錬と暮らしの中で育まれた独自の視点から
人と地域の関わりについて語っていただきました。

和太鼓 志多ら

豊かな自然と伝統芸能が息づく愛知県奥三河を拠点とする和太鼓集団『志多ら』。
国の重要無形民俗文化財の「花祭」を住人として継承し、「人を結び、いのち奏でて、伝統を舞う」をメッセージとともに、日本全国、そして世界で活躍している。
大自然の中で育まれた豊かな感性と、いのちの躍動感を感じさせる演奏は、多くの人の心を魅了している。

https://shidara.co.jp/
和太鼓 志多ら

地域の一員として伝統芸能に関わることで“背負ったもの”の
大きさを痛感。

1989年愛知県小牧市で結成した“志多ら”は、いくつもの偶然が重なり愛知県の山深い奥三河、東栄町に拠点を定めます。プロの演奏家として、さらに地域の住民として、紆余曲折を経て他に類を見ない独自のかたちを築きます。

志多らは愛知県で最初の和太鼓プロ集団ということもあり、結成当初テレビや新聞など多数のメディアから取材を受けました。これが当時東栄町の小学校で作られた太鼓クラブの指導者を探している方の目に留まったことが移住のきっかけとなりました。チーム名の“しだら”と北設楽郡の“したら”、名前が似ているのもご縁だったのでしょうか。日常的に太鼓の練習に打ち込める場所を探していたことや、太鼓クラブのある小学校の校長先生がこの村の出身だったことなどが重なって1990年から廃校となった東栄町の東薗目小学校を使わせていただくことになりました。

東栄町は日本の他の過疎地域と同様に少子高齢化と若者の流出が深刻な問題となっている地域です。特に、国の重要無形民俗文化財である「花祭」は後継者不足で祭をどう守っていくか、という岐路に立たされていたのですが、“どこの馬の骨ともわからない集団が一つ屋根の下に暮らして太鼓を打っている”志多らを受け入れることに賛否が大きく分かれたようです。最初に花祭に関わった時も、『売名行為』『花祭が志多らに乗っ取られる』と大変な非難を浴びました。伝統芸能とは言え祭も時代に合わせて変化する部分は変化していかないと存続できませんが、実情を知らない方々からすると、由緒ある花祭に“志多ら”というよそ者が関わることに我慢がならなかったのでしょう。この時に私たちは自分たちの背負ったものの大きさを実感しました。

東栄町 東薗目小学校(現在:志多ら稽古場)

東栄町 東薗目小学校(現在:志多ら稽古場)

花祭

花祭

地域と向き合い、文化や音楽の力で奥三河を
元気にしていくことを目指して。

「いつかは理解してもらえる」と信じて関わり続けた祭。集団生活という特異なスタイルで地域の人から持たれた距離も、暮らしにとけ込むことでいつしか縮まり「花祭によって志多らが変わった」と言われるまでに。

練習風景のイメージ

プロの和太鼓集団は全国に多々ありますが、志多らの様に花祭という伝統の祭を背負った集団は他にありません。仕事としてではなく村の一員として背負ったつもりでいるので、万一志多らが解散となっても花祭には関わっていく―この覚悟を理解してもらうのに10年ほどかかりましたが、一つのきっかけとなったのはメンバーにできた子どもでした。親として学校や地域と関わることで、そこに住む人たちとの距離が少しずつ縮まっていったのです。祭だけでなく、消防団やその他の活動にも関わり、暮らしにとけ込むことで、繋がりができ「有名になっても出ていくつもりはなさそうだ」「本気でここで暮らそうとしているんだな」と。

普段は朝から晩まで太鼓の練習をし、創作をして公演に出かけるといった活動ですが、その根底にはいつも地域としっかり向き合って、文化や音楽の力で地域を元気にしていきたいという想いがあります。そんな想いを舞台創作だけでなく違う表現でかたちにしたいと2010年に社会貢献活動をする「NPO法人てほへ」を立ち上げました。廃校を利活用したカフェや後継者のいないブルーベリー農園の管理運営、ワークショップ企画など志多らのメンバーだけでなく志多らを応援してくださる支援者もともに手を携えて様々な活動を行っています。

多様性のある生き方、豊かな生き方とは何かを地域の子どもに伝えたい。

コロナ禍以前には海外公演も行っていた志多らですが、海外の人が日本を訪れた時に奥三河のこのエリアに足を運び、本物に触れてもらうというのが理想とするところ。将来を担う子どもたちにも伝えたいことがありました。

練習風景のイメージ

志多らはプロの演奏家として日本中の祭を演奏することはありますが、伝統芸能としての本物は、この場所で年に一度だけ行う花祭だけです。その本物の祭を守り続けている人の想いに触れ、加わったからこそ、この場所に足を運んで見ていただきたいし、地域の中で受け継がれている暮らしと祭がイコールである日本人の暮らしの原点のようなものをメッセージとして発信し続けられる集団でありたいと思っています。

また、変動が激しい現代のような時代の中で、子どもたちにも何を軸にして生きていくかで、大きく違ってくることをきちんと示したいと考えています。例えば、志多らのある奥三河には高校が一つしかないため、どうしてもある年齢に達すると外の地域に出て進学、そのまま就職、そして帰ってこない、ということに陥りやすい。ただ、これを数%でも食い止めるためにも、有名な大学に進学し、大企業に就職し、結婚、家を建てる、という生き方だけが一番ではなく、いろんな生き方があることを、東栄町に住む子どもたちに伝えたいのです。志多らは裕福ではありませんが(笑)、好きなことをして豊かな生き方をしている。そんな風に、自分がやりたいと思ったことを思い切ってやれる環境があれば選択していいんだよ、と言い続けたいですね。

イオンモール豊川と志多らにしかできない新たなつながりの場を。

イオンモール豊川のオープニングセレモニーで演奏を披露する予定の和太鼓 志多ら。プロの演奏家として奥三河、東栄町に根を張り、地域に根づいた活動も大切にしている稀有な太鼓集団から発信されるメッセージはどんなものとなるのでしょうか。

志多らはツアー公演の他に、全国各地の小中学校の芸術鑑賞会で演奏することも多いのですが、大きい町と小さい村では子どもの雰囲気が違うことに気づきます。例えば東栄町の子どもは小さな頃から花祭と関わっているため『大人になったらいつか鬼役をやりたい』など憧れや地域に愛着を持つ子が多い。そんな“愛着”というものを理解し、大切にしながらしっかりとした文化がある豊かな地域づくりを応援するのが志多らの目指すところです。もともと志多らは“志、多い者たち”という意味でもあります。最初は太鼓で志を持った者が集まりスタートした集団が、いろんな生き方や夢を持って生きている人たちを応援し、繋がりをつくっていきたい、という想いで事業展開をしていきたいと思っています。

志多らにとって、地域の中の場づくり、人と人がコミュニケーションをとるための場づくりの中心に祭や村の学校というものがあり、そこに私たちの太鼓や音楽が寄り添い、何かが生まれるきっかけであり続けることが永遠のテーマです。まちの中にも人と人が繋がり合っていくキーとなる場所が必要となってくるのは同じことであり、イオンモール豊川さんがその場所となっていかれることと思います。そんな場に“和太鼓 志多ら”が音楽で関わることで、イオンモール豊川さんと志多らにしかできない新たな繋がり場をつくるきっかけになれば嬉しいと思います。

公演のイメージ